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COLUMN

連載 吉川団十郎 青春を生きたマチ

青春を生きたマチ 吉川団十郎  
第1話 原風景とは?

 昔の話だが、鯨で有名な鮎川町へ公演に行った。そこで私はこんな話をする。 
「皆さん、日本の原風景ってどんなのか想像してみでけさいん。茅ぶきの民家があり、目の前には田畑が広がり、家の横には黄色に熟した柿がなっていて・・・」すると皆が納得いかない様子、首をかしげてる人もいる。 
そこでふと気づいた。そうか、『日本人の原風景』って言ったって、人それぞれイメージする風景は違うんだ。私としては単純に日本人なら全員が同じイメージをするもんだと勘違いをしていたのだ。 
 そう言えば、鮎川の風景は目の前には田畑はまったく無く、あるのは海だらけ。陸はと言えばとても急な山だらけ・・・。 つまりこういう事なのだろう。日本の原風景とは、それぞれが生まれ育った故郷の幼い頃の風景を連想するのかもしれない。 
 よくよく考えてみればその通り。私の原風景は我が故郷『名取』そのものである。見渡す限り拡がる名取耕土。そして夕焼けに染まる西の果てには愛島の五社山(ごしゃざん)、その上には蔵王連峰がそびえてる。 
 そんな訳で、これから何回かこの紙面を借り、我が故郷名取での青春の記憶を呼び戻して見ようと思う。私は現在の増田1丁目に生まれる。昭和23年3月10日。10人兄弟の末っ子。正に『団塊の世代』だ。ところが私が生まれて半年後に父は病気で死んでしまう。そこから我が家はどん底生活に入る。そんな環境で育つと性格もコンプレックスの塊になってしまう。だから子供の頃の私は物凄い恥ずかしがり屋だった。と言っても誰も信じないだろうね。でもこれは本当の話である。 
  御飯が食えない日がチョイチョイあった。母ちゃんはよく質屋通いをしていたし、チョイチョイ借金取りが我が家に来ては母ちゃんがペコペコと頭を下げている姿を見ていた。 
  小学1年の入学式の朝、私はランドセルを背負ったはいいが「学校へ行きたくない」と駄々をこねる。すると母ちゃんはむりやり私の腕を掴んで玄関を出た。私は母ちゃんの腕を払って畑へ逃げた。すると母ちゃんは追い駆けてくる。私は周りの畑や田んぼを逃げ回る。母ちゃんは何処までも追い駆けて来た。小学1年の私にはランドセルが重くて結局逃げおおせない。とうとう捕まえられ学校へ連れて行かれてしまった。 
 さて、大人になって思った。もしあの時、母ちゃんが私の気持ちに同情して学校を休ませていたとしたら、どうなっただろう? 多分、次の日も、その次の日も学校を休んでは登校拒否児童になっていたはず。

  「団十郎の母ちゃんはとてもたくましかった」

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