青春を生きたマチ 吉川団十郎
第3話 名取にいた「おだずもっこ」(お調子もの)
直木賞を受賞した本に「青春デンデケデケデケ」と言うのがある。この映画を観て俺は思った。
「俺の青春時代の方がこの映画よりもっと面白いかも・・・」
それでは始まり。
名取を舞台にしたハチャメチャで型破りなエレキ野郎の物語である。
☆
俺は仙台にあった定時制(夜間)の図南高校へ入る。しかし勉強が嫌いな俺は仕事が終われば学校には行かず一番町へ行っては番ブラをして遊んでばかり。結局、半年で夜間高校を中退する。
中退して間もなく、ラジオから流れて来た音楽はアストロノウツの『太陽の彼方』ベンチャーズの『ダイヤモンドヘッド』と言ったエレキサウンズだった。たちまち日本国中エレキギターブームが起きる。そこへビートルズブームも加わって一大旋風となった。
18歳の時。俺はどうしてもエレキギターが欲しくなる。当時の俺の月給は9,000円。この中から家に3,000円の生活費を入れなくてはいけない。これでは18,000円もするエレキギターなんて到底買える訳がない。
もう1つ難しい問題があった。それは俺の仕事がオートバイの修理工。当時はモトクロスブームが起きていた。だからモトクロスのレーサーにもなりたかった。当然、会社の同僚たちは皆モトクロスに熱中していた。
そんな訳で、俺は毎日「ギターか? バイクか?」で悩んでいた。
そして、選んだ道がエレキギター。
ついに18歳の時、緑屋デパートから月賦で18,000円のエレキギターを買う。しかしアンプまでは買えない。当時、アンプは高かったのだ。安くても3万円はした。しかしこの程度の値段のアンプはパワー不足でコンサートでは使えない。
ギターは手にした。だがアンプが無い。すると、次はどうしてもアンプを通して音を出してみたくなる。
ある時、誰かが言った。
「ラズオさ繋ぐど鳴るんだどや!」
それを聞いた俺は、20歳上の兄貴が留守の時にギターのジャックを兄貴のラジオに繋いだ。そして格好良く「テケテケテケテケ・・・・」とトレモロを弾いた。
ところが弾いたはいいが、出た音は「テケテ」だけ。ホンの1秒程度の音が出ただけで、真空管が切れてしまった。
夜、帰って来た兄貴にスコタマ怒られた事は言うまでもない。
☆
この当時のバンドは、アンプが揃わないのが悩みの種だった。
「エレキギターブーム」と言ったって、今になって冷静に振り返ってみると若者でエレキギターを持っている人はほとんどいなかった。俺は仕事をしていたからこそ、月賦であっても買えたのだ。
そういった事情もあって、メンバー4人を集めるだけでも大変な時代。
俺は名取市内をメンバー探しに走り回るがなかなかメンバーが揃わない。
中学時代の親友にハモニカの上手いのがいたので声をかける。その彼と会話していたら彼が言うではないか。
「俺や、大好ぎな歌、あんだ」
「何や?」
「北見こうじの『石巻の女』だ~」
俺はこの一言で彼をあきらめた。確かに名曲だが世界が違う。
次に声をかけたのは中学時代の後輩。ギターなんて触った事も無いと言う。
そこで「ドレミファソラシド」 と 「ドシラソファミレド」を教えた。そして次の日もまた教えに行く。 「昨日教えだ『ドレミファソラシド』ば弾いでみろ」と言った。すると彼は弾きだした。
ところがなんと、口では「ドレミファソラシド」と言ってるくせに、ギターでは「ドシラソファミレド」と弾いているのだ。
「ナ・ナ・ナント、この人は天才だ~! もしくは腹話術師だ~」(これ本当の話だがんね)