名取を愛する人に贈るウェブマガジン

RADIO PROGRAM

なじょでがすフライデー

 14年ぶりに吉川団十郎さんの生放送番組が始まった。「なじょでがすフライデー」だ。「なじょでがす」という意味が分かる年代は60歳以上ぐらい?。調子どうですか?という意味の宮城弁だ。「調子どうですか?」と言われるより「なじょでがす~」と言われた方が愛を感じる気もする。番組名は、その愛を名取の皆さんに届けて、楽しんでもらえるようにしたいとの、団十郎さんの発案だ。

 みなさんはTBCラジオ「ジャンボリクエストAMO・通称ジャンリクAMO」という番組をご存じだろうか?昭和44年5月~昭和62年まで放送された大人気ラジオ番組だった。その中で昭和49年~50年までのパーソナリテイが吉川団十郎さん。横尾やすえアナウンサー(TBC)さん、その後素人の方とタッグを組んだ。昭和51年4月~52年3月までは「東京だよ団十郎(TBC東京支社で収録)。53年4月~55年3月まで2回目のAMOスタート。団十郎&オスミ、昭和55年3月まで続いた。リクエストコーナーは大人気で、投稿(当時ははがき)した人もかなり多く、特に団十郎さんが仙台弁で面白く話すことに、多くの宮城県人は共感したのではないだろうか。 
ちなみにジャンボリクエストAMO、団十郎さん最終回は宮城県のヒーロー「菅原文太」さんとの対談。その縁もあり映画「トラック野郎」にも出演することになった。

平成7年~9年には「葵と団十郎のサンデーAMO」と再復活している。この番組はその後全国で活躍する、みなみらんぼう氏・大友康平氏等がパーソナリテイを担当していた。

今回の番組のアシスタントパーソナリテイは「相澤美恵」さん。相澤さんは東日本大震災の後に、臨時災害放送局(なとらじ)の立ち上げから関わっており、現在も「特定非営利活動法人エフエムなとり」の理事長として活躍している。
団十郎さんとの関わりは、「2012年に突然団十郎さんが震災を案じて、当時市役所内にあった“なとらじ”に来てくださり“俺何かてずだうごどねえべが”」と相澤さんに話しかけたことから。それ以後ラジオ番組に出演してもらったり、被災されたところへ行って歌ってもらったりと、いろいろ震災復興に協力していただいたそうだ。

お二人に10月1日から開始しているラジオ番組「なじょでがすフライデー」の意気込みをきいた。

団十郎さん「戦後の名取を知っている数少ないDJだと思うので、既に消えてしまった貴重な名取の風景や風習をノスタルジックに語り合いたい」

相澤さん「団十郎さんとまた、ラジオ番組をやれているのは、とてもうれしいです。なとらじは当初から“みんなをげんきにする なとりの情報ラジオ”ということを忘れずに番組を制作しています。私自らそれを再度実現していくよう頑張ります」名取愛を感じさせられた団十郎さんと相澤さん。これから名取をおおいに盛り上げてくれることだろう。

(吉川団十郎 プロフィール)
1948年生まれ、名取市出身。シンガーソングライターであり陶芸家でもありラジオDJもこなすマルチな人物。1976年に代表曲「ああ宮城県」がヒット!!1981年より村田町に住み、陶芸活動も開始。

(相澤美恵・よしえ プロフィール)
エフエムなとり理事長。名取市在住。東日本大震災直後、名取市の臨時災害放送局開局当初から参画し、「ラジオでつながるみんなの笑顔」を合言葉に掲げて被災地における取材・情報発信・コミュニティの再構築に奔走。コミュニティ放送局になって以降も地域の為・住民の為の活動を続ける

RELATED

PAGE TOP